コレクション

 オディロン・ルドンは、1840年4月20日、フランス南西部の都市ボルドーに生れました。非常に裕福とはいえないまでも、まずまずの財産家であった両親の第2子でした。後に兄は音楽家、弟は建築家になっていますから、芸術的な素質に恵まれた家系だったのでしょう。しかし、この2人の兄弟の間にはさまれたオディロンの芸術家としての成長は、必ずしも順調ではありませんでした。パリの国立美術学校の受験には失敗しましたし、当時のフランス画壇を牛耳っていたアカデミスムの画家ジャン=レオン・ジェロームの門下生になったとたん、この師の教え方についていけず、すぐにボルドーに帰ってしまいます。

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 ルドンが彼独自の絵画世界を世に問うたのは、1879年、石版画集 『夢のなかで』 を発表したときでした。このとき彼はすでに39歳、そして発表したものも油彩画ではなく、版画という白黒の世界でした。ルドンは実は、失意の日々を送っていた青年時代にいくつかの重要な出会いを経験しています。その最たるものは、放浪の版画家 ロドルフ・ブレスダン に師事したことです。ロマン主義の申し子であったブレスダンを通じて、若いルドンは「黒」という色の持つ無限の可能性に目を開いたのです。ルドンは自身の木炭や版画による絵画を「私の黒(ノワール)」と呼び、この黒の世界で、奔放な空想と独自の造形のかたちを掘りさげていきました。
 
 

オディロン・ルドン ロドルフ・ブレスダン
オディロン・ルドン
(1840~1916)
孵化
(『夢のなかで』より)
1879年作、リトグラフ
ロドルフ・ブレスダン
(1822~1885)
善きサマリア人
1860~61年作、リトグラフ
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 1880年代の中頃から、彼の「黒」は前衛的な若い芸術家たちの目にとまるようになります。アカデミスムにはへきえきし、かといって写実主義や印象主義絵画の即物性にも飽いていたこうした画家たちは、 ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ、ギュスターヴ・モロー と並んで、ルドンを彼らの先駆者として認めるようになりました。エミール・ベルナール、ポール・ゴーギャン、 ポール・セリュジエ、モーリス・ドニといった人々は、大気の中の風景の一瞬の印象をとらえることに熱中した印象派の刹那性や、物理現象に基づいた客観主義を批判し、より永続的なものを、より精神的なものを求めていたのです。
 
 

ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ ギュスターヴ・モロー
ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ
(1824~1898)
《「慈愛」のための習作》1893~94年頃
油彩、鉛筆、紙(画布で裏打ち)
ギュスターヴ・モロー
(1826~1898)
《聖セバスティアヌスと天使》1876年頃
油彩、板
     
エミール・ベルナール ポール・セリュジエ
エミール・ベルナール
(1868~1941)
《ポンタヴァンの市場》1888年
油彩、画布
ポール・セリュジエ
(1864~1927)
《急流のそばの幻影、または妖精たちのランデヴー》
1897年頃 油彩、画布
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 ほぼ時を同じくして、ルドン自身の絵画世界は色彩へと移行していきました。そしてここでも、ルドンの空想は音高く羽ばたき、交響楽のように反響する色彩世界を確立したのです。それはまさに、かつて詩人のボードレールが主張し、ルドン自身も唱えた、絵画における画家の想像力の優位を高らかに宣言するものでした。

オディロン・ルドン オディロン・ルドン
オディロン・ルドン
(1840~1916)
《アポロンの戦車》1906~07年頃
油彩、画布
オディロン・ルドン
(1840~1916)
《眼をとじて》1900年以降
油彩、画布
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